情報科学と日常生活はちがいすぎる
現代社会では、自分が何をやっているのかがわからなくなることがおおいんですよね。
自分は大学院になってから、目の前に迫ってきた社会に対してなんとも言えない不安が毎日止まらなくなっている時期が偶に来ます。 そのときになると、「頑張ることをあきらめていきていく」系の本がきになるようになります。
「自分がやっていることが、自分が生きる上で何に影響しているのかがわからない」という状態になると、自分は一気に不安になることに気づきました。
私は、大学院で情報科学を専攻していますが、そーいう世界で生きていると、どんどんなにか現実離れしていくんですよね。
AI技術が発展していっても、お母さんはスマホが全然わからないまま。それでも、毎日のご飯は美味しいし、おじいちゃんおばあちゃんは朗らかに生きている。
通信技術を発展させても、人間じゃないと不登校の子供を助けることはできないし、精神病の患者を少しでも生きやすくしてあげることはできない。
情報科学という分野では、そういう現実が、あるわけです。
そういうことが気になり始めると、なんかもうわけがわからなくなってきます。
自分が生きるために、お金を必要なぶんだけ稼ぐ。 今日たべるために、ちょっと山菜を取りに行く。
毎日死ぬ気でプログラムを書いて、それでよくわからん額のお金を使う。 生きていくために、資格勉強をがんばる。
これら二つは全然違います。
前者は行動が自分の生に直結していますが、後者は直結していないわけです。
なんとなく強迫観念でいい会社に行かねばならないから資格勉強をする。 そういうことを昔は頑張れたような気がします。
最近は、強迫観念じゃなくて、「自分が求めているもの」と直結している行動以外できなくなってきました。
本を読むのが好きで、みんなに知ってほしいから書評を3000文字書く。 生きるために、ご飯を作る。
結果が三大欲求+知的欲求に呼び掛けてくれることだけやっていきたいです。
みんなはどうやって生きているんだろう。
自分は、寝るところがあって、
本を読めて、文字がかけて、絵が描けて写真が撮れる。 それだけが満たされていれば、もう満足です。